異文化交流による世界観と価値観の多様化
世界中に多くの天地創造の神話があることからわかるとおり、古代の人々にとってこの世界がどのように生まれ、身の回りのものが何からできているのかという疑問に対する答えは神々の存在だったでしょう。しかし、神々による天地創造のような説明は地域や文化によって内容や解釈が変わり普遍的なものではありませんでした。
紀元前6世紀頃、現在のトルコの南西部に存在したイオニアにミレトスという古代ギリシアの植民都市が栄えていました。地中海交易の拠点だったミレトスには周辺の国々から多くの人々が訪れ異文化交流が進みました。知識の交流は人々の世界観や価値観を多様化させ、やがて古代ギリシアの人々が信じていたオリンポス神話は崩れていきました。
自然哲学のはじまり
このような変化の中で人々は普遍的な真理の追求を行うようになり、これが哲学となりました。例えばギリシア神話では地震は海神ポセイドンが引き起こすと考えられていましたが、哲学者タレスは神話を排除し大地を支える水が振動すると地震が起きるという説を唱えました。
自然哲学はミレトスで始まったと考えられており、ここで活躍した哲学者たちをミレトス学派と呼びます。やがて自然哲学はイオ二ア全体に広がりこの地方の哲学者たちはイオニア学派と呼ばれるようになりました。
後に活躍したアリストテレスはイオニア学派の哲学者たちを「自然について語る者(フィシオロゴイ)」と呼びました。なおミレトス学派はイオニア学派に属しますが思想の違いから一般に両派は区別されます。
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