.Header .description 3-19. 光の粒子説の根拠になった偏光|思考実験の科学史

3-19. 光の粒子説の根拠になった偏光

複屈折の研究を行ったマリュス

 フランスの物理学者エティエンヌ・ルイ・マリュス(1775年 - 1812年)は1798年から1801年までナポレオンのエジプト遠征に技術将校として従軍し、仕事のかたわら光学の研究を行いました。1808年にフランス科学アカデミーが募集した複屈折に関する懸賞論文に応募し光の粒子説による複屈折の原理の説明に成功しました。

エティエンヌ・ルイ・マリュス
エティエンヌ・ルイ・マリュス

 複屈折についてホイヘンスは光の波が結晶によって速さの異なる2つの成分に分かれることによって生じると説明していました。ニュートンは楕円体の光の粒子が結晶を通るときの向きの違いによって生じると説明していました。マリュスはニュートンよりホイヘンスの説明が複屈折の現象に合致していることに気が付きましたが、フランスの数学者ピエール=シモン・ラプラスの助力でこの現象を光の粒子説の立場から力学的に説明し入射光線と屈折光線の方向の関係から光の粒子の速さを導くことに成功しました。ただし、光が結晶中で速度の異なる2つの成分に分かれる説明は満足のいくものではありませんでした。

偏光を発見

 マリュスは複屈折の研究において反射光が偏る現象を発見しています。マリュスはこの現象を偏光と名付け「マリュスの法則」を導きました。

 偏光の現象はもし光が波であるとするならば横波であることを示唆していました。詳細については第4章で説明しますが、横波が媒質を高速で伝わるには媒質は非常に硬いものでなければなりません。マリュスは鉄より硬い媒質で満たされている宇宙空間を地球はいかにして公転しているのかと光の波動説を否定しています。

 光の波動説では地球は媒質の流れにのって公転しているとされましたが、この説明ではブラッドリーが発見した光行差の説明がつかなくなりました。ブラッドリーは光行差は光の粒子と地球の公転の相対速度で生じると光の粒子説の立場で説明していたのです。これに対して光の波動説では地球は多孔質であり光の波を伝える媒質は地球を通り抜けると根拠のない説明しかできませんでした。

 マリュスの論文は光の粒子説の重要な根拠とされフランス科学アカデミーは1810年にマリュスに賞を与えました。


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