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3-16. ニュートンの粒子説が主流に

粒子説か波動説か

 ホイヘンスによる光の波動説の説明は当時としてはしっかりしていましたが、ニュートンは徹底的に反論しました。ニュートンの反論には先に説明したニュートンリングや方解石の説明のようにこじつけと言えるようなものもありました。一方のホイヘンスの説明も方解石の複屈折を説明できなかったように完璧だったわけではありません。

 ニュートンに強硬に反対し光の波動説を唱えたロバート・フックも他界しました。ニュートンの1672年のプリズム実験の結果も太陽光に限るとする必要はなくなりました。

 当時の物理学において古典力学の著書として不動の地位を収めた「プリンキピア」の著者であるニュートンが唱えた光の粒子説に対して反論できる科学者はもはやいなくなりました。

ニュートンの権威で支持された粒子説 

 1687年に「プリンキピア」を出版したときニュートンは44歳、1703年に王位協会の会長に就任したときは60歳でした。多くの科学者は年齢的にも重要な地位と肩書きを持つニュートンが唱えた光の粒子説を支持するようになりました。

ニュートン(1702年)
ニュートン(1702年)

 その背景には光の振る舞いの多くが光の粒子説でかろうじて説明できたことや、光の波動説を決定づける証拠がなかったことがあげられます。しかし、ニュートンの光の粒子説は科学的な根拠に基づくものとは言えませんでした。光の現象から思考実験で導き出した答えに過ぎなかったのです。

 それでもニュートンが唱えた説だから間違いないであろう、ニュートンを支持した方が得策だろうと考えた科学者も多かったのです。結果として光の波動説は影をひそめることになり光は粒子であると結論づけられたのです。


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