ニュートン著書「Opticks(光学)」
ニュートンは万有引力の発見をはじめとした輝かしい業績により1703年に王位学会の会長に就任しました。そして1704年に念願の著書「Opticks(光学)」を発表しました。
ニュートンの光学理論を強硬に否定していたロバート・フックは1703年に死去しています。それ以降、フックの業績は目立たなくなりました。業績どころかフックの肖像画すら残されていなかったのです。3-09に掲載したフックの肖像画は2004年に伝承に基づいて描かれたものです。フックの業績や肖像画はニュートンによって消し去られたという説もあります。
ニュートンはこの著書において1672年の論文の主張を踏襲し、光線は光の最小粒子の流れであり、屈折が生じるのは色によって光の粒子が異なるからだと説明しました。これがその後もニュートンが光の粒子説を唱えたと伝えられる由縁となっています。
ニュートンのプリズム実験は再現が難しかった
ニュートンのプリズム実験は再現が難しく「Opticks(光学)」の出版後でさえ広く受け入れられませんでした。
ニュートンのプリズム実験を再現したのはニュートン自身ではなく王位学会の実験主任だったジョン・テオフィルス・デサグリエでした。
デサグリエはニュートンの実験の難しい部分を改良しプリズムの光と色の実験を見事に再現しました。 この結果は1716 年の「フィロソフィカル・トラ ンザクションズ」に掲載されニュートンの説を裏付けるものとなりました。
【参考】プロローグ |ニュートンのプリズムの分散の実験をやってみた①
前ページ:3-14. ホイヘンス著書「光に関する論考」を発表
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