安全な航海のため正確な地図が必要になった
15世紀後半から17世紀前半までの大航海時代。ポルトガルやスペンをはじめとするヨーロッパ諸国がアフリカ・アジア・アメリカなど世界中に向けて帆船で海外進出を行いました。
大航海時代が終盤に差し掛かった頃には多くの航路が発見され貿易が盛んに行われるようになると、船の安全な航行が求められるようになりました。そのためには正確な地図が必要となりました。そして、船が周囲に何もない洋上で自分の位置を知るためには、南北の位置を示す緯度と東西の位置を示す経度を正確に求めなければなりません。
緯度 イギリスのグリニッジ天文台を通る子午線を基準に、東西へそれぞれ 180 度までの角度で表す。東回りは東経、西回りは西経。 経度 赤道を基準に、南北へそれぞれ 90 度までの角度で表す。赤道の北側は北緯、南側は南緯。 |
緯度と経度
南北の位置を表す緯度は地平線もしくは水平線と太陽や北極星のなす角度から比較的簡単に求めることができました。一方、東西の位置を表す経度を求めるには基準の位置と自分が存在する位置の時差を知る必要があります。しかし、当時は正確な時計がなかったため緯度を簡単に知ることはできませんでした。そのため、いかにして正確な緯度を求めるかが正確な地図を作るうえで重要な鍵になっていました。
2 つの地点の時差がわかると経度を求めることができる原理を考えてみましょう。いま船が出港地で太陽が南中する正午に時計を 12:00 に合わせて出航したとします。船がある地点に到達したとき、太陽が南中する正午に時計を見ると、時間は 12:00 からずれているはずです。この時間のずれから、出港地とその地点の時差を求めることができます。地球は 24 時間で 1 回転していますので、1 時間あたりの経度は 15 度になります。ですから出港地との時差がわかれば、出港地から何度の位置にいるのかがわかり経度を求めることができます。
現在、経度の基準となっているのはイギリスのグリニッジ天文台です。グリニッジ天文台で正午に 12:00 に合わせた時計を日本の兵庫県明石市で正午に見ると、時計は 3:00 を示します。つまり、時計が9時間が遅れていることがわかります。これは日本の時間がグリニッジ天文台の時間より9時間早いことを意味します。時差は+ 9 時間ですから、明石市の緯度は 15 度× 9 時間ですから東経 135 度になります。
天文台が時間の基準になっているのは大航海時代の経度の測定と深く関係しています。緯度の測定が太陽や北極星を使って行われたのは天体が世界中のどこからでも観測できるからです。同様に経度の測定にも天体の利用が考えられたのです。そこでヨーロッパの多くの国が自国の天文台を基準にした地図を作成しようと、経度を正確に決定する方法に懸賞金をかけていました。この懸賞金を目的に多くの天文学者が経度を求める方法を研究しました。
ガリレオの提案
最初に経度を求める方法を提案したのはイタリアのガリレオ・ガリレオでした。ガリレオは 1610 年に自作の望遠鏡で木星の 4 つの衛星を発見していますが、これらの衛星の食(衛星が木星の裏側に隠れる現象)が規則的に起こることから、世界のどこからでも確認できる標準の時計として使えると提唱しました。ただし、。木星の衛星を用いて経度を求めるには詳細な観測データが必要でした。
ガリレオが提案した方法は後にフランスの天文学者ジョバンニ・ドメニコ・カッシーニによって実現されました。カッシーニの功績によって詳細な観測データと天体暦から基準となる地点との時間差を求め経度を計算できるようになりました。
しかし、この方法は衛星の観測に時間がかかるという欠点がありました。そのため、地上で経度を求める目的には使えましたが、洋上を移動する船が経度を求める目的には使えませんでした。
また、詳細な観測データから木星の衛星の食が始まる時間が季節によって異なることが判明しました。つまり季節によって測定した経度が変わってしまうことがわかったのです。しかし、カッシーニはその原因を突き止めることはできなかったのです。光速は無限大という常識がこの現象の理解を妨げたのです。
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