常識を覆したレーマー
世界で初めて光速を測定したのはパリ天文台で働いていたデンマークの天文学者オーレ・クリステンセン・レーマーとされています。レーマーは1676年に光速を秒速22万キロメートルと求めたと言われています。しかしながら、レーマーは実際には光速を測定していませんし、光速の値を発表したわけでもありません。どうしてレーマーが世界で初めて光速を測定したことなったのでしょうか。
レーマーがパリ天文台にやってきたのは1672年のことでした。当時、パリ天文台台長を務めていたのが木星の衛星や土星の衛星を観測し天体観測で多大なる功績を残したカッシーニでした。このとき若きレーマーは28歳、名高き天文学者カッシーニは47歳でした。
レーマーはカッシーニのもとで木星の衛星の動きを調べることになりました。衛星イオの食が始まる時刻を調べているうちに、地球が木星の近くに存在しているときと遠くに存在しているときでは食が始まる時刻が 22 分ずれていることに気が付きました。
レーマーはイオの公転周期が一定であることからこの時間差は観測によるものと考えました。光が一瞬で伝わるのであれば地球と木星の距離に関係なく食は同時刻に始まるはずで、この時間差は光速が有限であることから生じると結論づけたのです。そして1676年にパリの王立科学アカデミーで発表しました。
レーマーの主張は当時の光は瞬時に伝わるという常識を覆すものでした。カッシーニもこの時間差に気がついていましたが、光速は無限大と考えていたため時刻のずれの原因を突き止めるまでには至らなかったのです。カッシーニはレーマーの主張を決して認めませんでした。カッシーニの権威によってレーマーの主張はフランスでは認められませんでしたが、イギリスのニュートンやオランダの物理学者で後に光の波動説を唱えたクリティアーン・ホイヘンスはレーマーの主張を支持しました。
光速はホイヘンスが求めた
レーマーが求めた光速は秒速約 22 万キロメートルとされていますが、レーマーの興味は光速が有限であることを証明することだったようです。ですからレーマーは光速の値までは求めませんでした。レーマーの理論から光速の値を求めたのはホイヘンスでした。
ホイヘンスはレーマーが観測した食のずれの時間 22 分(1320 秒)と当時知られていた地球の公転の直径2億 9120 万キロメートルから、光速を秒速 22 万キロメートルと求めました。
291,200,000 (km) ÷ 1320 (sec) ≒ 220,000 (km/sec)
この値が実際の光速の値である秒速 30 万キロメートルからかけ離れているのは、地球の公転の直径や食のずれの時間が不正確だったからです。現在、知られているそれらの値(ずれ:16 分 36 秒= 996 秒、公転直径:2億 9920 万キロメートル)を使って計算すると光速は秒速30万キロメートルに近い値になります。
299,200,000 (km) ÷ 996 (sec) ≒ 300,000 (km/sec)
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