.Header .description 2-07. ピタゴラス学派とエレア学派の思想の違い|思考実験の科学史

2-07. ピタゴラス学派とエレア学派の思想の違い

空間や時間にも最小単位が存在する

 ピタゴラス学派の哲学者たちは、ハルモニアが数の比でもたらされるならば、この世に存在する全てのものは、それ以上分割が不可能な最小単位から成ると考えました。

 いま、ある長さの線分を半分にし、その半分にした線分をまた半分にする操作を考えてみましょう。ピタゴラス学派はこの操作を繰り返して行くと、やがてそれ以上分割できない最小単位の長さになると考えました。 もし分割によって行き着く先が無になるのであれば 0/1 や 1/0 が生じることになり数の比に無限大やゼロを認めることになります。そこで線分は最小単位の大きさをもつ点の集まりであると考えたのです。

線分を半分にする操作を繰り返すと
線分を半分にする操作を繰り返すと

 これを前述の鉄の塊の分割に当てはめると、鉄の塊もやがてそれ以上分割できない最勝単位に行き着くことになります。この発想は空間がそれ以上分割できない最小単位からなるという考えにつながりました。そしてこの考えを時間にも適用し時間もそれ以上分割できない最小単位からなると考えたのです。空間や時間の分割は物体の運動のとらえ方にも適用されました。

相反する2つの思想

 エレア学派の思想は「あるものはあり、あらぬものはあらぬ」から導き出された「真に存在するものは不生不滅であり、分割不可能で唯一であり、そして、変化もしなければ、運動もしない」というものです。これに対して、ピタゴラス学派の思想は、「この世に存在するものは多数に分割できる」から導き出された「万物の根源は数である」というものです。この2つの思想は相反しています。

 エレア学派のパルメニデスの「あるものがないものになったり、ないものがあるものになったりするはずがない」は直感的に理解しやすいでしょう。しかし「真に存在するものは変化もしなければ運動もしない」については理解しがたいでしょう。

 多数の分割を認めないパルメニデスは変化を感覚や感性によるものとしていますが、世界の変化も物体の運動も実際に目の前で起きていてあるものとしか考えられません。多くの哲学者にとって、パルメニデスの思想は受け入れがたいものだったでしょう。


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