.Header .description 3-17. 光の回折と干渉を実証したトマス・ヤング|思考実験の科学史

3-17. 光の回折と干渉を実証したトマス・ヤング

光の粒子説は100年間続いた

 光が粒子と結論づけられた後も光が波であると考えた科学者は少なくありませんでした。それは実際にはロバート・フックやホイヘンスが唱えた光の波動説が誤りであることを示す決定的な証拠がなかったからです。

 その一方で偉大なニュートンの光の粒子説を覆すことができるような新発見もありませんでした。ニュートンを信望するケンブリッジ大学の科学者たちはニュートンの様々な研究成果を広めました。そして、ニュートンの説に対する異論は排除しました。

 このような背景もあり光の粒子説に異論を唱えることは非常に難しく、ニュートンが1704年に「Optics(光学)」を発表してからの100年間は光の粒子説が主流だったのです。

光の粒子説に異論を唱えたトマス・ヤング

 19 世紀に入ると光の波動説でしか説明できないような実験結果が数多く示されるようになりました。その中でも光が波であることを見事に実験で示したのがイギリスの物理学者トマス・ヤングです。この実験はヤングの実験という名前で知られ、現在においても光の干渉を説明するときには必ず取り上げられます。

トマス・ヤング(1773-1829)
トマス・ヤング(1773-1829)

 ヤングは1790年代に医学を学び、視覚、色覚、聴覚、音声についての研究を行いました。それらの研究をきっかけとして光学に興味をもつようになり光の正体が何かを考えるようになりました。

 ヤングは 1773 年に生まれで、ニュートンとホイヘンスはそれぞれ 1727 年と 1695 年に没しています。ですからヤングは光の粒子説と波動説の争いの渦中にいたわけではありません。ヤングが生まれた頃には光の粒子説の勝利で決着がついていたのです。しかし、ヤングは光は音と同じように波であると考え、光が波であることを突き止める研究を進めました。

ヤングは光の波動説を裏付ける実験を行った

 ヤングは1800 年に「音と光についての実験および理論的研究に関する議論(Outlines of experiments and inquiries respecting sound and light、PDF )」という論文を発表し世界で初めて波の干渉の原理について説明しました。この論文は音と光の比較から、光の振る舞いについて説明したものですが干渉の説明は音波を使ったものであり光の干渉にまでは踏み込んだものではありませんでした。

 ヤングはその後も光の波の干渉をどのように実験で証明するかを考えました。1801 年には湖から水路に入る2つの波紋が干渉を起こす現象から、干渉は波が強め合ったり、弱め合ったりすることで生じる結論付けました。そしてニュートンリングが生じる仕組みを波の干渉で説明することに成功しました。1802年にはニュートンがプリズムで作ったスペクトルを波長と関係づける実権を行っています(分光分析の幕開け(5)-可視光線の波長範囲の測定)。

 1803 年、ヤングは「物理光学に関する実験と計算(Experiments and calculations relative to physical optics、PDF)」という論文を発表し光の干渉を証明する実験を始めました。ヤングは窓ガラスに穴を開けた厚紙をはり、穴から出る一筋の太陽光線が窓の反対側の壁に当たるようにしました。その太陽光線に1ミリメートルに満たない細い紙片を当てあました。壁にできた紙片の影は不明瞭で縁取りがあり、その縁取りが影の中に入り込んでいました。そして、その縁取りには明暗の縞模様ができていました。ヤングはこの実験で光が回折したり干渉したりすることを示したのです。

 ヤングは 1807 年に水面波で干渉をわかりやすく観察できる装置を作っています。この装置は深さの浅い水槽に2つの波紋が生じるようにしたものです。この実験装置で次のような2つの波紋が干渉する様子を確認できるようになりました。

2つの波紋が干渉する様子
2つの波紋が干渉する様子

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