.Header .description 3-08. 光と色の関係を突き止めたニュートン|思考実験の科学史

3-08. 光と色の関係を突き止めたニュートン

ペスト菌大流行がニュートンの功績を生み出した

 無色の太陽光をプリズムに通すと虹のような光の色が生じる現象は古くから知られていました。その理解はアリストテレスの改変説を基づくもので太陽光が透明な物質を通過することによって色づくというものでした。しかし、その原理は科学的に解明されておらず謎のままだったのです。この謎に一石を投じたのが若き日のアイザック・ニュートンでした。

アイザック・ニュートン(1689年)
アイザック・ニュートン(1689年)

 ニュートンは1661年にケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに給費生として入学しました。給費生は学費が免除される代わりに大学の雑務を行わなければなりませんでした。1663年頃から数学、力学、光学などの研究を始め、1665年に学位を取得しました。このとき既に万有引力の発見のきっかけとなるアイデアに気がついていたといいます。

 ケンブリッジ大学でニュートンを指導していたのは同大学数学関連分野教授職のルーカス教授を務めていたアイザック・バローでした。バローは幾何学と光学を研究テーマとしており、バローの研究に寄与していたニュートンを高く評価しました。


アイザック・バローと著書「Lectiones Opticae(1669年)」

 この頃、ロンドンでペスト菌が大流行し、ケンブリッジ大学は1665年8月に閉鎖に追い込まれました。ニュートンも長期休業を余儀なくされましたが、このことによって給費生の雑務から開放され、自分のやりたいことに専念てきるようになりました。

 ニュートンは故郷リンカンシャー州ウールスソープに疎開し、大学に復帰するまでの18ヶ月の間、兼ねてから温めていた流率法(微分積分学)・プリズム分光学・万有引力の研究などに取り組み偉大な功績を生み出しました。この期間はニュートンの「驚異の諸年」もしくは「創造的休暇」と呼ばれています。

 ニュートンは疎開によって故郷で充実した期間を過ごした後、1667年4月に大学に戻りフェローとなりました。1669年には若干26歳にして恩師のバローにポストを譲られルーカス教授に就任しました。

反射望遠鏡の発明で王位協会会員に

 ニュートンのルーカス教授就任後の最初の功績は、レンズによる像の色ずれ(色収差)を改善するためレンズの代わりに凹面鏡を使った反射式望遠鏡の発明でした。

ニュートンが示した反射式望遠鏡の光路図(Opticks、光学)
ニュートンが示した反射式望遠鏡の光路図(Opticks、光学)

 王位学会(王位教会、the Royal Society of London)はこの反射式望遠鏡に注目し、1671年にニュートンに反射式望遠鏡を提出するよう要請しました。ニュートンは反射式望遠鏡の改良型を作成し、多くの専門家がこの実績を賞賛しました。このことが、きっかけでニュートンは1672年に王位学会の会員となりました。

 ニュートンは1672年2月6日付けで王位学会に送った手紙「New Theory About Light and Colour(光と色の関する新理論)」に、1666年に太陽光をプリズムに通す実験を行い太陽光が様々な色の光が混合したものであることを報告しています。この手紙は王位学会の会報『フィロソフィカル・トランザクションズ (The Philosophical Transactions of the Royal Society、哲学紀要)』に掲載されました。このときニュートンは28才、この手紙がニュートンの最初の学術論文となりました。

New Theory About Light and Colour by Issac Newton 1672
WIKISOURCE New Theory About Light and Colour

 この論文は色収差の問題を改善する反射式望遠鏡の発明のきっかけになった経緯としてプリズムによる光の分散の実験を報告したものです。王位学会の会員となったニュートンが自らの光学理論を公表する目的もあったとも考えられています。

ニュートンのプリズム実験

 この論文でニュートンはプリズムによる太陽光の分散、プリズムで取り出した単色光はそれ以上は分散できないこと、太陽光をプリズムで分散した光を全て混合すると元の白色光に戻ること、複数の単色光を混ぜ合わせると中間色を作ることができることなどを報告しています。

プリズムによる太陽光の分散.png
プリズムによる太陽光の分散

 この実験でニュートンは壁に映る虹色の帯の形が縦長になっていることに注目しました。窓に開けた小孔(スリット)は円形のためアリストテレスの変改説で色が生じるのであれば虹色の帯も円形になるはずと考えたのです.。ニュートンは自分が行った実験の装置や条件や手順を詳細に調べて実験に問題がないかを追認しましたが虹色の帯が縦長になる原因を見つけることはできませんでした。

 そこでニュートンは虹色の帯が円形ではなく縦長になる理由を突き止めるためプリズムでできた虹の色の帯から特定の色の光(単色光)を取り出して別のプリズムに通す実験を行いました。

特定の色の光をプリズムに通す
特定の色の光をプリズムに通す

 ニュートンが赤色から紫色までの光を別のプリズムに通してみると、赤色光よりも紫色光の方がプリズムで大きく屈折することがわかったのです。ニュートンはこの実験の結果からスペクトルが縦長になる理由は、光の色によって屈折の度合いが異なるためであることを突き止めました。

 一連の実験の結果から、ニュートンは、光はプリズムを通って単純に色を呈するわけではないと考え、アリストテレスの改変説を否定する結論に至りました。そして、この結論を実証するためプリズムで作ったスペクトルを凸レンズで集め、もうひとつのプリズムに通す実験を行いました。ニュートンは無色の太陽光がさまざまな色の光からできているのであればそれらの光を集めれば元の無色の白色光になると考えました。実験の結果はニュートンが予想した通りになりました。


プリズムでできたスペクトルを無色の太陽光に戻す

 ニュートンはこの結論をより確かなものとするため、虹色の帯から任意に取り出した 2 色の光を混合して別の色の光を作り出す実験も行いました。

2色の光から別の色の光を作る
2色の光から別の色の光を作る

 このようにしてニュートンは光と色の関係を突き止めたのです。

【参考記事】


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