.Header .description 2-05. 世界を存在で捉える|思考実験の科学史

2-05. 世界を存在で捉える

世界を理性で捉える

 南イタリアの都市エレア出身でエレア学派の始祖のパルメニデスはヘラクレイトスの万物は流転し世界は絶えず変化するという説に異論を唱え、世界の成り立ちは変化ではなく存在で捉えるべきだと主張しました。そして私たちが見たり感じたりできる水や火などの実体的なものをアルケーとすることは世界の成り立ちの理解に誤解を生じさせると主張したのです。

 パルメニデスは世界が絶えず変化しているのは、私たちが世界を感覚や感性で捉えているからだと考えました。感覚や感性は人それぞれで異なり普遍的なものではないのだから、私たちは感覚や感性に頼るべきでなく理性によって論理的に世界を捉えるべきだと考えたのです。

鉄の塊を分割していくと

 目の前にある鉄の塊を次々と割っていきどんどん細かくしていく操作を考えてみましょう。この操作を繰り返していくと鉄の塊はどんどん小さくなりやがて認識することができなくなります。これを感覚や感性に従って捉えると鉄の塊はなくなったことになります。しかし理性に従って捉えると鉄の塊は見えなくなっただけで決してなくなったわけではありません。何もないところから鉄の塊が生まれてくるはずがありませんし、鉄の塊が木材の塊に変化してしまうこともありません。

鉄の塊を分割していくと
鉄の塊を分割していくと

 パルメニデスは変化とはものが有から無になったり、無から有になったりすることであると定義し論理的にはありえないと考えました。

 ヘラクレイトスが唱えた川の例をパルメニデスの考えに従って考えると「川の水は確かに流れているが川の存在は確実であり川の存在を否定することはできない。川が存在するからこそ川があるのであって川がなければ川はない。川の流れの変化は私たちが感覚や感性で捉えているものに過ぎない」となります。

 川の水がたえず入れ換わっているのは事実ですが、だからといって私たちは川の名前を変えたりすることはしません。それは川の水の入れ替わりを理性的に捉えているからに違いありません。

テセウスの船はテセウスの船である

 パルメニデスの考えに従ってテセウスの船のパラドックスを考えてみましょう。テセウスの船を作る材料が全て入れ替わってしまったとしても、この船はテセウスの船と呼ばれ続けるでしょう。テセウスが使った船であることには変わりません。

 前述のパルメニデスの川に対する主張をテセウスの船に置き換えてみると、「テセウスの船の材料は確かに全て入れ替わっているが、テセウスが使った船の存在は確実であり、テセウスの船の存在を否定することはできない。テセウスの船が存在するからこそ、テセウスの船があるのであって、テセウスの船がなければテセウスの船はない。テセウスの船の材料の入れ替えは、私たちが感覚や完成で捉えているものに過ぎない」ということになります。

あるものはある、あらぬものはあらぬ

 私たちが感覚や感性で捉えている世界は絶えず変化を続けています。その変化とは、あるものがないものになったり、ないものがあるものになったりすることです。しかし、パルメニデスはその変化も理性的にとらえれば、あるものがないものになったり、ないものがあるものになったりするはずがないと考え「あるものはあり、あらぬものはあらぬ」と述べ変化を否定したのです。

パルメニデスの考え
パルメニデスの主張

 変化を否定することは、物体の運動を否定することにもつながりました。彼は、物体の運動も感覚や感性で捉えた現象にしかすぎず、実際には物体は変化していないと考えたのです。そして、真に存在するものは不生不滅であり、分割不可能で唯一であり、変化もしなければ、運動もしないと結論づけたのです。

 このようにして、パルメニデスをはじめとするエレア学派の哲学者たちは、ものごとを感覚や感性で捉えることを拒絶し、理性的に捉えることで真理の追究をしていったのです。


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