ニュートンの「プリンキピア」
ニュートンの著書「プリンキピア(Philosophiæ Naturalis Principia Mathematica、プリンキピア自然哲学の数学的諸原理、プリンシピア)」は現代の物理学に通じる古典力学の基礎をなすニュートン力学を解説したものです。天体の運動や万有引力の法則をはじめとした運動の法則が数学的に論じられています。近代物理学において画期的かつ重要なこの書籍「プリンキピア」が出版されたのは 1687 年のことです。
天才ニュートンは自身の偉業に気付いていなかった
ニュートンが「プリンキア」を出版するきっかけはエドモンド・ハレーが作ったと言われています。エドモンド・ハレーは1705年に軌道計算からハレー彗星の出現を著書「彗星天文学概論」で予言したイギリスの天文学者です。1680年代前半に月の観測や重力の研究を行っていたハレーはケプラーの惑星運動の法則を証明することができずにいました。
ケンブリッジ大学のルーカス教授を務めていたニュートンにもとに1684年8月に会いに来たのがハレーでした。ハレーは自身が証明できずにいた「惑星が距離の平方に反比例する力で太陽に引き寄せられると仮定した場合、惑星が描く曲線はどのようになるか」という課題をニュートンに尋ねました。ニュートンはハレーの質問にすぐに「楕円」と答えました。ハレーはニュートンが既にケプラーの法則を証明していたことに驚きました。ニュートンは自身の偉業を論文にしていなかったのです。
物理学で権威となったニュートン
ニュートンは1684年11月に自身でまとめた論文「回転している物体の運動について」をハレーに送りました。ハレーはニュートンに自身の力学の研究成果を書籍としてまとめるように奨め、ニュートンはハレーのアドバイスを得て500ページにもなる「プリンキピア(自然哲学の数学的諸原理)」をまとめあげました。ところが、ニュートンの論文の出版を約束していた王立協会が資金難となり出版の見通しが立たなくなりました。そこでハレーが経費を負担することになりました。科学史上でこの極めて重要な書籍「プリンキピア」は自費出版となったのですが王位協会で高く評価され、ニュートンはとりわけ万有引力の発見によって物理学において絶大な権威を有するようになったのです。
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